事業承継・経営承継 -中小企業の経営承継を考える-
背景
趣旨
シンポジウム内容
背景
中小企業では経営者の高齢化が進み、今まさに多くの中小企業が事業承継のタイミングを迎えています。中小企業が持つ技術・ノウハウといった有形無形の価値を後継者に引き継ぎ、さらなる活性化が求められていますが、スムースな事業承継には、様々な障壁が立ちはだかっている状況です。
そこで、我々,、リタネッツ事業協同組合では、経営の基本的考え方(=経営理念)の引き継ぎに焦点を当てた経営の仕組みづくりを進めて参りました。
趣旨
経営の基本的考え方(=経営理念)の引き継ぎに焦点を当てた経営の仕組みづくりのために、埼玉県の著名経営者が辿ってきた経営承継の考え方とプロセスをベンチマークすることとしました。
スムースな経営承継のための先代経営者の思いをカタチにする〔自己覚知〕経営とは?
事業承継シンポジウム 「体験者に学ぶ/経営承継・譲る側と譲られる側」
以下、記載の内容は、2017年4月24日(月)パレスホテル大宮で開催された事業承継シンポジウム「体験者に学ぶ/経営承継・譲る側と譲られる側」(主催:㈱CWM総合経営研究所)を組合事務局にて編集したものです。
なお、㈱CWM総合経営研究所は、当組合が開催する経営セミナー(ピンポイントセミナー)やリタネッツ・ユニバーシティ(RU-経営者課程)の企画・提供を行っております。
<体験者・発表者>
株式会社 埼玉種畜牧場 代表取締役社長 笹﨑 静雄 様 (以下、笹﨑社長)
-創業者(父)から事業を引き継いだ。現在、後継者(ご子息)に承継を模索中。
株式会社 ハイデイ日高 代表取締役会長 神 田 正 様 (以下、神田会長)
-ご自身が創業者で、後継者(義弟)に事業を引き継いだ。
株式会社 ヤオコー 代表取締役会長 川野 幸夫 様 (以下、川野会長)
-創業から2代続く事業の3代目として引き継いだ。
その後、4代目後継者(実弟)を挟み、現在ご子息が事業が引き継いだ。
株式会社 CWM総合経営研究所 代表取締役会長 杉 田 圭 三 (以下、杉田会長)
<座 長・進行役>
株式会社 CWM総合経営研究所 代表取締役社長 杉 田 一 真 (進 行 役)
< シ ン ポ ジ ウ ム 当 日 の 発 言 要 旨 >
<進 行 役> Q1.理念等の経営に関する基本的な考え方(「経営哲学」)の承継について
<笹﨑社長>
当時のことを思い出すと、「父」は仕事に対して、まさにスーパーマンであったこと、「母」は優しさと包容力をもった人でした。そして、「豚」からは、自然の摂理・自然の原理原則を教えてもらいました。
わたしは、日本大学農獣医学部に入学・卒業後、サイボクに入社します。この仕事をしてつくづく感じることは、自分たちは自然の中で活かされているんだということです。例えば、つい最近、野菜の収穫が不作になり、カルビーのポテトチップスや、カゴメの野菜ジュースの一部が供給停止になる報道を見ると人間は自然の前では為す術がないことを実感します。
皆様、こんにちは。サイボクハムの笹﨑でございます。
創業者である父は、帝国陸軍の獣医将校でした。海外で
の戦火の中、生き残り日本へ帰還することとなります。
当時の上長からは『(敗戦の)責任は俺が取る、若い君
たちは生き残って祖国の地で復興に努めて欲しい』との
言葉があったようです。日本に帰ってきた父は、まず
食料事情を改善するために自分ができることは何か?を考え、31歳の時(昭和21年)にサイボクハムのルーツとなる牧場経営を始めました。(その後、昭和23年に笹﨑社長が生まれます)
父は、志・使命感を持って創業しました。創業者のパワーは、それはもの凄いものがあります!父から教わったことは、「使命感を持った人間の強さ」です。宿命を受け止めて、覚悟を決め、学び続けるからこそ、本気で事業を営むことができる。自覚をして初めて、人間は育つもので、ただ上から教育しただけでは、人はなかなか育たない。
社長の仕事は、会社をつぶさない、従業員を大切にすること。
今後、会社を引き継いで行くに当たり、私から息子に一度も、「会社を継いでくれ」と言ったことはない。息子の学生時代を振り返ると、仲間の中でも最も小遣いがすくない学生だったのではないか?と思う。そういう厳しい環境にいたからこそ、人の情けを知ることが出来、傲慢にならないでいられるんだと思う。知識に加えて情(なさけ)を知ることが大切です。自分自身がそうであったように子供たちには敢えて、突き放すような教育をしてきました。
<神田会長>
皆様、こんにちは。中華食堂日高屋の神田でございます。 いまの状況(売上高385億円、397店舗:平成29年3月)は、自分の素質・力ではなく、ただただ運が良かっただけ。15歳で社会に出て、ラーメン屋をしたら、今に至った。 18歳までは色々な勤め(バイト)を経験してきた。折角、決まった自動車メーカーの仕事(正社員)も辞めてしまった。その後、浦和のラーメン店で出前持ちを経験し、縁あってラーメン店を営んで
生まれは、埼玉県日高市です。子供のころを振り返ると、母がゴルフ場のキャディーをして私たち家族を養ってくれました。常に仕事と家事をする母を見て、「一体、いつ寝ているんだろう・・・」と思っていた。そういう母親の姿が、今の自分を作ってくれたと思う。下手な大学に行くよりも大きな勉強になった。
きたが、何で、ラーメン店をやったかというと、「現金商売」であったから。手形や掛売ではなく、その場で現金が入って来る商売が魅力的だったから。決して、ラーメン店が好きでやった訳ではない、本当に運がよかっただけ。
実弟と義弟(高橋社長)と共に3人でラーメン店の経営を続けてきたが、振り返ると、3人だから頑張れたと思う。これが1人だったら、ここまで大きくなっていなかったと思う。3人の間では、当時『自分の子どもは入れずにやっていこう』という話をし、現在もその通りに経営を行っている。子供に会社を継がせないのは、自分も従業員も気を遣わないで済むから
。本当に気が楽だ。当社の社長の選び方は、「一番頑張って、一番人望がある人に社長になってもらう」という決め事になっている。能力よりも人格を重んじるということ。
次代の社長に引き継いで行きたいこと
1.日高屋の近隣住民に『日高屋ができて、本当に良かった!』と言って欲しい。
2.当社の従業員には『日高屋に入社ができて本当に良かった』と言って欲しい。
現社長(高橋社長)には、この二つを実現できる人にバトンタッチをして行って欲しい。
当社は、365日年中無休で、朝まで営業する店舗もあり、ハードな仕事である。その仕事を支えるのが従業員(正社員・パート社員)達である。折角、縁あって当社に入社してくれた従業員には遣り甲斐を持って仕事をして欲しいし、待遇面でも還元をして行きたい。巷では人手不足と言われているけれども、当社は人材採用では恵まれている。それは、当社を辞めて行く人が、次に新たな人を紹介してくれるので、人材確保(採用面)では本当に助かっている。当社を紹介してくれるということは、仕事の「遣り甲斐」「待遇」で満足をしてくれている証拠だと思う。これを続けて行くことで、社風にして行きたい。
<進 行 役> Q2.経営環境(仕組み)の承継について
<笹﨑社長>
今年の新入社員は、バブル後に生まれた世代で、バブル崩壊、東日本大震災を多感な高校生の時に経験したネガティブ世代である。一方、自分たちは、高度経済成長期のポジティブ世代である。そういう世代間の違いを分かったうえでの仕組みづくりが必要だ。
自分は、パート社員(女性・お母さん)の話をよく聞くようにしている。パートの女性は、子どもを育てる力・強さを持っている。自分(笹﨑社長)自身もパートの女性によく叱られている。かえって、課長などは上・下関係があるので、わたし(笹﨑社長)には本音を言うことが、なかなか出来ないけれど、パート社員は上・下関係を度外視して「違うよ!」と意見を言ってくれるので有難い。
リーダーに必要なのは、他人の意見を「聴く力」である。とくに年下の人からの意見を聞けるかどうかが、バロメーターだ。お互いの智慧を集めることが大切で、息子を含めて、色々な話をする「場」を設けている。
創業者である父は、まさに現場主義のヒトであった。ただし、そこだけにはまってしまうと、「大きな目」で見ることが出来なくなってしまうので注意も必要だ。「勉強なんかしていないで、現場に行け!」とよく言われた。しかし、社長に必要なのは、現場の「虫の目」に加えて「鳥の眼」「魚の眼」という異なる次元での多面的な視点が必要だ。だから、若い社員には、出来るだけ武者修行をさせるようにしている。嫌なこと、厳しいことを若い時に経験させる。こればっかりは教えることはできない。「人格形成」は、今の学校では教えてくれない。苦言を呈してくれる仲間・先輩に出会うことで磨かれるもの。そういう人を大事にしないといけない。
<神田会長>
仕組みづくりでは特別なことはしていない。いま、自分は76歳になった。一生懸命にやってきたら、こうなった。その間、苦労の連続だった。人間は苦労したくないけど、苦労は財産だと思う。「苦労の経験は、早い者勝ち」だ。早く経験した方が、絶対に得だ。
当社は、株式公開が急成長の契機になったと思う。ラーメン店1軒目、2軒目を出店していた頃は、儲けたい、借金を返したい、高級車が欲しいという私利私欲でいっぱいだった。それが60軒目、70軒目を出店する頃になると、自分自身食べるのには困らなくなった。そして、例えば、縁があって入社した人が家を持てるようになど、「社員のために」「地域のために」という考え方に徐々に変化していった。そうしたら、また一段と事業の成長が加速するようになった。その上で、株式公開を契機に資金が集まってきて出店が増え、従業員への還元(従業員持ち株会)という好いサイクルになっていった。
わたしは『社長を交代しても、無理に新社長の色を出すことはない!』と考えている。当社で言えば、増収増益という業績(結果)は、当社の経営方針・事業運営(プロセス)が社会から認められた証拠であるから。だから、『新社長になったからといって、無理に方針を変える必要はないよ』と高橋社長に話している。いまのままで好い。経営方針は変えないけれども、時代に併せた変化(例.「ちょい飲み」への取組み)は必要だ。
<進 行 役> Q3.経営承継の留意点について(失敗体験など…)
(必ずやらなければならないこと・決してやってはならないこと)
<笹﨑社長>
一番難しいのは「人事」で、具体的には先代からの腹心の処遇です。つい目先の仕事の出来る人間を重用してしまうものだ。しかし、長期的な視点を持つ人徳がある人間を上に就けないといけない。人の気持ちを聴くことができる人材を重用する。自ら、火中の中にありながら、各々の役割を果たすことができる人財こそ重用するべき。サイボクハムは豚と共存しているので、自然と共存した経営をするしかない。その昔、会社が赤字、逆風の時に先代社長の人間力(胆力)を見る機会が何回もあった。
父は、96歳まで現役で代表取締役を務めてきた。中小企業の場合は、「どうやって継続するか?」「地域に密着していくか?(自分だけが勝ち組にならない)」を考えることが必要だ。部下を1人でも持って、どうやってその人を育てていくか?人が育つ過程に触れることで仕事への遣り甲斐が生まれてくる。また、経営者は承継後の人生も考えて欲しい。「自分を見つめる時間」を持って、承継後(辞めた後)も自分の人生を有意義に送るものを持つことが必要だ。
<神田会長>
創業当時、まさか、ラーメン店で株式上場が出来るとは思わなかった。せいぜい、自分のお店を1軒、2軒でも持てれば好いと思っていた。ラーメン店を経営する中で、「時代の変化を逸早く見抜いて、対応して行くこと」の大切さを実感した。昭和40年代後半、大宮駅を行き交うサラリーマンはみんな弁当を持参していたが、これが手ぶらに変わっていった。これは時代の変わり目と捉え、外食産業の拡大を予見した。
大宮駅前にはラーメン・おでんの屋台があり、深夜25時 最終電車まで人でいっぱいだった。東京オリンピックを機に非衛生を理由に規制が強化される姿を目の当たりにし、『屋台ビジネスは継続しないだろう』と感じていた。その後、屋台の受け皿として屋台の代用となる店づくりするため、駅前繁華街への出店に注力していった。もしも、いまでいうロードサイドに出店していたら、ここまで拡大していなかったかもしれない…。当時、駅前の飲食店は、牛丼・ハンバーガー店くらいで、ラーメン店はなかった。ここが狙い目だった。
日高屋ラーメンの特長は、アルコール比率が高いこと。売上の17%がアルコールを占めている。例えば、同業他社の餃子の王将は、アルコール比率が8%なので、アルコールは王将の倍の売上になっていることになる。まさに時代の流
れを読み、ほろ酔い程度に飲むちょい飲みや一人飲みが出来る店づくりを行ってきた結果だ。競争相手が、同業他社のラーメン店から異業種の居酒屋へシフトしてきた。
後継者がやってはいけないことは、本業と全く異なる事業に進出すること。例えば、当社は飲食業なので、まったく畑
の違う「不動産」など飲食業以外への進出はいけない。また、スナックなどの「色気の産業」も避けて欲しい。
<進 行 役> Q4.経営承継の要について
<杉田会長>
1.「経営承継」は、意図して早目に着手し、時間をかける
2.理念等経営に関する基本的な考え方(「経営哲学」=Management philosophy)は、明文化して承継する
:世界三大宗教のキリスト教・イスラム教・仏教は、それぞれ明文化した聖典(旧約・新約聖書・コーラン・仏教経典 7千~8千巻)を基に、布教する為の活動をしています。経営に於いても、基軸となる基本的な「考え方」がブレないように、明文化した理念等の「経営哲学」を承継することが求められます。特に、事業の核となる自社の存在意義、つまり、その役割と責任を、理念として明文化した上で、「理念を高め続ける」ことが、経営トップの最も重要な役割の1つであると考えられます。
3.「経営哲学」を血肉化するための「仕組み」をつくり、徹底・継続・進化できる環境を承継する
:理念等の「経営哲学」を経営の現場(実務)に落し込み血肉化するには、意味ある〈場〉を設定し、それを「仕組み」として機能させる必要があります。何故なら、「仕組み」の存在は、「決めた事が決めた通りに実行される」ための徹底を可能すると共に、その徹底の継続実践が「進化」をもたらすことになるからです。さらに、「進化」させるための創造的な創意工夫、改良改善、革新が、遣り甲斐働き甲斐を産み出し、個々の持てる能力を最大限に発揮させる基となるのです。
<進 行 役> Q5.シンポジウムにご参加の経営者の皆様にエールをお願いします。
<笹﨑社長>
地域や従業員の皆に愛されている好い社長というものは、大方奥さんとうまくいってます(一心同体)。中小企業のリーダーは、家庭内でのもめ事がないことが大切。回りからは社長の生きざまは全て丸見えなんですね。そのことを後継者にしっかり伝えて行くことが大切です。
<神田会長>
皆さんも是非、奥さんと仲良く…
また、経営承継に困ったら、お金はかかるけど、杉田さんに相談しても好いですね(笑)
親族のご不幸により急遽、シンポジウムをご欠席となった川野会長からご厚意により、予定されていた質問へのご回答を書面で頂きましたので、ここに掲載させて頂きます。
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Q1.理念等の経営に関する基本的な考え方(「経営哲学」)の承継について
<川野会長>
突然の欠席で、皆さんには大変申し訳ありません。心よりお詫び申し上げます。
ヤオコーは、私の祖父である川野幸太郎が明治23年-(1890年)に、埼玉県の小川町に「八百の幸」と書いて、「八百幸」という八百屋を開いたのが創業です。そして、今の商売であるスーパーマーケットとしてのヤオコーの実質上の創業者は、私の母と言えます。私は小さい時から母の働き振りを見ながら育ちましたし、母と一緒にヤオコーをつくって来ましたので、母の商売にかける執念や熱意、お客様を大切にする姿勢、社員を思いやる心などは、日頃から知らされていました。
私がヤオコーへ入って間もない頃から、母は私に経営の多くを任せてくれましたし、母の理念を発展させる形で、私の考えを経営の柱にすることが出来ましたから、母から私へ自然体での引継ぎが出来ました。
そして、今から20年ほど前に私と弟の清巳、私の大学時代の同期である経営企画室長の3人で、事業承継の計画を立てました。私が65歳になる2007年に弟が継ぎ、弟が65歳になる2013年に息子の澄人に引き継ぐというものです。まさにそのとおりになりました。これほど順調な承継はないかもしれません。
私がヤオコーへ入って数年後には、弟も大学を出て加わりました。弟は私達と一緒に仕事をする中で、私達の言うことや、やることを見ていてくれました。私も弟も母が嫁に来てからの苦労する姿を見て来たこともあって、2人で力を合わせることこそ母親孝行だと思っておりましたから、弟とケンカした記憶はありません。弟とはヤオコーの理念や考え方、商いのコンセプトを共有しながら、私がいわばCEO、弟がCOOの役割を果たしてきたのだと思います。ですから、私は後継者を育てなくても、自然に弟が後継者として育ってくれました。
息子の澄人に「会社を継いでくれ」と言ったことは一度もありません。澄人の高校時代に、-東京にマンションを借りて2年間2人で住んだことがあるのですが、親子の会話が増えたわけでもありません。それでも大学を出てヤオコーに入社してくれました。父親の働き方を認めてくれていたのだと思います。
弟にも息子がいるのですが、どちらかの長男がヤオコーに入社したら、片方は入れないと弟と決めていました。兄弟でも時に気遣いが必要です。まして、いとこ同士は大変だと。ただし会社の支配権(自社株)は共にしっかり持ってもらう。受け継いだほうが会社を発展させ、片方は盛り上げる。子どもたちもそうしたことを理解してくれていると思います。
私は小売業の地位向上や人材確保のため、早くから株式公開を目指しました。上場によって創業家の支配権維持は難しくなります。それを防ぐため、30年以上前に持ち株会社を作り、株を少しずつ移転させました。現在、ヤオコー従業員持株会の筆頭株主は澄人であり、2位株主は弟一家となっております。
澄人が社長になったのは37歳の時でしたが、それほど心配はしておりませんでした。私が澄人に言ったのは、「社員を大切にしてほしい」の一言だけです。その後、約束を破るようなことはありませんので、経営にも一切口出ししていません。
経営者にまず必要なのは、一人の人間として認められることです。そのためにはハウツーではなく、文学や哲学といったリベラルアーツを学び、若いなりに人としての幅を広げてほしいと思っています。やはり金儲けではダメです。その点では小さい頃のしつけも大切です。家庭における文化は母親から受け継がれます。後継者作りで最も大事なのは母親ではないでしょうか。
小売業は事業承継の失敗が多いといわれます。個性の強いカリスマの跡を継ぐのは難しいことです。うちはたまたま母、私、弟と続き、考え方は受け継がれました。ただ、経営者の個性は少しずつ薄れていきました。企業のサイズもちょうどよかったと思います。弊社ぐらいの規模であれば、経営者の顔が見えます。
かつてダイエーさんは事業承継で失敗したといわれましたが、そうではないと思います。業態が時代に合わなくなったことに尽きます。父親の頃から成績が悪くなったのなら、誰が継いでも難しいと思います。子どもに継がせるのならば、やはり企業の成績が良いときでないとダメだと思います。
私はまだ代表権を持っていますが、特別なことは何もしていません。澄人が「親父、もういいんじゃないか」と言えば、それはそれでいいと思っています。
<杉田会長>
私は初代ですので、受け継ぐべき「経営哲学」は、無かったのですが、職業会計人としてスタートして間もない会計事務所勤務時代にその重要性に気付くキッカケがありました。それは、関与するクライアントが「順調に伸びている会社」「ジリ貧状態で倒産・廃業に追い込まれる会社」「いつまでたってもうだつの上がらない会社」の3つに大別されているという現実でした。そして、その企業の盛衰の原因を辿っていくと、まずは経営者、そして、更には従業員の一人ひとりが「何を考え、行動しているか」という《意識》にあるということが解ってきました。
そのような時期に『意識は無限の経営資源』という平野英雄さんが書かれた本に出逢いました。平野さんは、その本の中で「これまでの人・物・金・情報などの経営資源に加えて《意識》が最重要になる」と訴えていました。更に、これまでの人・物・金・情報は、「見える世界」、《意識》は、「見えない世界」、21世紀は、その「見えない世界」の意識集約型の産業構造になると言っていたのです。
その時代の価値観の変化を知った時、私は「我が意を得たり」の心境で「卓越した“よい会社”」をつくるために、この《意識》を経営に組み込むことが出来ないかと考え始めたのです。
皆様、既に体験済と思われますが、経営の現場にいると、次から次へトラブル・クレーム・ミスなどの課題が発生します。その根本原因を探っていくと、そこには人間の《意識》つまり、言葉を変えれば「正しいモノの見方・考え方」「心の有り様」が大きく関っていることが見えてきます。
そこで、「経営哲学」の存在しなかったCWMは、私が「社長講話」を通じて、その問題が発生した要因となる、本質的なモノの見方・考え方を共有するために毎月1時間の講話を行いました。そして、その内容を『CWMの考え方(CWM’s way of thinking)』CWM-philosophyとして明文化、集約し、新社長に引継ぎ、現在は、新社長が講話を担当しています。
Q2.経営環境(仕組み)の承継について
<川野会長>
私が母から経営の大半を任された頃のヤオコーは、まだ家業に毛が生えた程度の規模の会社でしたし、経営の「仕組み」などという大それたものはありませんでした。ただ、お客様を大切にすること、社員を思いやること、それらを実現するためにはどうしたらよいかを必死に考えながらやって来ました。
ご承知のように、スーパーマーケットは労働集約型の産業です。社員が元気に働いてくれることが、結果としてお客様のお役に立つことになります。ですから、社員(パートさんやアルバイトさんも含めて)が元気に働けるような会社にすることが、経営者としての第一の役割です。志の高い理念が社員の行動指針になること、-商いのコンセプトを明確にして社員の目指すべき目標を明示すること、-計画的、体系的な教育や訓練を受けてもらうことで、社員の能力アップをはかること、-その上で、それぞれの社員に仕事を任せて、P.D.C.Aのサイクルを回すことで、キャリアアップをはかってもらうことなど、社員を明るく元気に働ける人材に育てることが大切です。
多くの人にとって、命令や統制による仕事は楽しくありませんし、人材としても育ちません。社員が人材として育つことで、会社は発展し、社員も安心して勤めることができます。
現社長は、ヤオコーを「日本一働きたい会社」にすることを第一の課題に掲げています。「働き甲斐のある」そして「働きやすい」会社にすることで、働きたい会社にしたいと考えています。
まだまだ遠い目標ですが、何とか実現したいと私も念じています。
<杉田会長>
CWMでは、「経営とは、個人の行動を管理することではなく、人々に協働を促すことである」の考えの基「経営者を含めた全従業員が、自らの役割と責任に気付き(=〔自己覚知〕し)それぞれの持場の経営者として、主体的・自主的に事業に関わることによってその持てる能力を最大限に誘発させる経営」〔自己覚知〕経営を導入・実践しています。具体的には、〔自己覚知〕経営<5つの要素>の1つ「意味ある<場>の設定」として、「経営計画の策定・発表・進捗管理」「自主管理経営」「CWMカレッジ(企業内大学)」などの<場>を設定・仕組み化し、理念等経営に関する基本的な考え方の「経営哲学」を経営の現場に落し込んでいます。
この<場>は、人間の個々の行為を成り立たせている環境です。従って、この経営環境をつくり機能させることが、全従業員の遣り甲斐、働き甲斐を生み、経営活動を旺盛にし、結果として、業績に多大な好影響を及ぼすことになります。
CWMでは、この<場>を仕組み化し、承継することによって徹底・継続・進化出来るよう工夫しています。
Q3.経営承継の留意点について(失敗体験など…)
(必ずやらなければならないこと・決してやってはならないこと)
<川野会長>
息子が社長になった時、家内は「かわいそうに」と言っていました。家内は社長の大変さを知っていますから、気の毒に思えたのだと思います。
企業のトップにとっては、「ワーク・ライフ・バランス」などありません。そんなことを考えるようだったら経営者にならない方がよいと思います。ヤオコーは今では2万人を超える人達が働いている訳ですし、その人達の生活がかかっているのですから、私達の時代とは違っていても、自分の生活などはなくて当然のことなのかもしれません。私は家内から「お父さんはヤオコーと結婚したのだから」と言われましたが、ウォルマートの創業者であるサム・ウォルトンは事業を成功させるための心得の第一に「Commit to your business.(自らの事業に身も心も捧げ尽くせ)」と言っています。まさに同感です。
また、いつの時代でも、経営者の公私混同が問題にされます。特に「自分の金」と「会社の金」の区別もつかないようなものは、問題外です。むしろトップは、「自分の金」も「会社の金」だと思うぐらいでないといけません。ですから息子には「財布を2つつくるように」と言っています。社員のために使うお金はいつでも使えるように別に持っていた方がよいということです。
<杉田会長>
必ずやらなければならないこと
「経営承継」前は、理念等の「経営哲学」の明文化とその「経営哲学」の現場への落とし込みの「仕組み」をつくり引き継ぐこと。
「経営承継」後は、後継者に経営判断の基軸となる「経営哲学」にブレが生じた時には、躊躇なく助言する。
決してやってはならないこと
「経営承継」前、唯単に子供だからというだけの理由で後継者にしない。
従業員やその家族などの多くの人々の人生がかかっているので、人間力、経営力を育成し、見極めた上で引き継ぐこと。
「経営承継」後は、経営を引き継いだのだから経営のやり方については、極力口を出さないで温かく見守るようにする。
Q5.シンポジウムにご参加の経営者の皆様にエールをお願いします。
<川野会長>
実務的な能力は、仕事を覚える中で自然に身につくものです。ですから経営者には特に、教養とコミュニケーション能力を求めます。
私は教養、つまりインテリジェンスがあるということは、他人に優しいことだと思っています。インテリジェンスがあって、自分の理念や考えをビジョンとして置き換えることができ、それを社員に対して説得できる、納得させられる力を持つことが、経営者にとって大変大切です。
<杉田会長>
最近、世界文化遺産に登録された富士山が人気を集めていますが、その富士山の登山を計画する時、登山口は、御殿場口、須走口、富士宮口、吉田口などあり、どこを選んでも全て山頂に通じています。仮に、自ら選択した登山道を登っていると崖崩れで、通行止に出会した際、どうしても登頂したいという強い意志があれば、別ルートで再挑戦し、思いを実現することができます。
同様に、「経営承継」に於ても、選択肢は、親族内承継だけでなく、MBO、M&Aなどの親族外承継という道も残されています。従って、決して諦めずに、従業員とその家族や取引先などの幸福を願い、「経営承継」を円滑に実現して自社の永続的発展を目指して欲しいと思います。